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真・窓と林檎の物語
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著者あとがき

ついに、半年間続いたこの物語も終止符を打ちました。ちょうど6カ月で45万人という膨大な数の読者にアクセスされたことはたいへんうれしく思います。旧作が7カ月で15万人でしたから、3倍以上に増えています。ここで、今までのそれぞれのコラムを振り返って、思うことをいろいろ書いていきたいと思います。

まずは予告編から。実際の予告編は別ページで見てもらうとして、予告編の最後にいつもある「林檎の歴史がまた1ページ」は、お気付きの方もいらっしゃると思いますが、銀河英雄伝説をパクったものです。この事を指摘して下さったのは45万人のなかで3人だけでした。さらに最終回予告だけ「林檎の歴史もあと1ページ」になっていたのに気がついた人はどれくらいいたのでしょうか?自分としては、本文を書いている時より、怪しい予告編で期待を煽りつつ、どうやって予想を裏切るかを考えている時が一番楽しかったです。「情けに報いる」とか「バータリー」はかなりうまくいったと思うのですが、どうでしょう?

「その林檎は腐ってしまったのか?」「タコにつける薬」は移転してオープンした最初の2作でしたが、時間的余裕があまりなくて、今一つの完成度でした。予告の文章で煽っていたこともあり、前より面白くないという批判的な感想も結構もらいました。ま、自分としては軽いジャブという感じで今後に期待してよ、という感じでしたね。

「首の太いオヤジの功罪」は、おりしもアメリオ博士が突然辞任した直後で、緊急執筆って感じでしたが、中身は結構まとまったと思います。現在ようやくAppleの方向性が定まってきたのも、全てはこの首の太いオヤジの蒔いた種が実を結んだからです。個人的にはもう少し長く働いてて欲しかったなぁ。

旧作リライト一発目は、「複媒体拡張の傾向と対策」でした。インテルがTV CMでやたらと繰り返す、MMXのカラクリを説明しようと怪しい比喩を駆使したつもりです。ようするに、何も新しくないんだよって事です。名前とイメージだけで売るのが得意です、インテルもマイクロソフトも。実際を知ると、金返せって感じですけど。

「通信の耐えられない遅さ」は、待ち行列理論のごく初歩でした。このへんはシステムのコストと効率を追求する業種の方にはお馴染みでしょうが、利用する側としてもなぜ行列で待つことが多いのかを理解しながら待ったほうが気が楽かな、ってことで書いてみました。勉強になったという感想をたくさん頂いてうれしかったです。習ったはずだけど忘れてたって人も。

「違いのわかる市民」にも多くのメールを頂きました。TRON信者の方からは「俺はもっと違いのわかる市民だから、Mac程度では驚かない」という鼻息荒いメールをもらいましたが、残念ながらその方はMacのシステム自体には疎いようで、多少誤解されてました。皆さんも経験があるでしょうが、数字や図を用いずに全てを文章だけで説明するのはなかなか難しく、雑多な細部はずいぶん端折った部分も多かったため、誤解を招きやすい箇所もあったかもしれません。Windows95でもBMPファイルなら中身のアイコンを貼ることができるのは私も知っていますが、BMPファイルのみ可能な点、レジストリをいじる必要がある点、表示する際にファイルの中身にその場でアクセスしてアイコンを作っている点など、数々の情けない点を考えると、Macと比較して、自由なアイコンを貼るのは「Windowsには見果てぬ夢」と表現しました。間違ってないと思います。とにかく、拡張子なるシステムがタコの元凶です。

「動きの速い幼稚園児・完全版」は、旧作では最後の作品でした。技術的な話題が多く、比喩を用いるのも難しくて旧作ではかなりの部分をカットしてたのですが、リライトにあたって復活させました。RISCとCISCという切り分けはもう古いという意見も頂きましたが、そうは思いません。実際、インテル以外で新たにCISCを始めるところはありませんし、インテル互換チップも中身はほぼ完全にRISCになってます。両者の境目ははっきりしなくなっていますが、それはCISCがRISCにすり寄ってきたからです。全体的な方向としては、やはりRISCが有望なのは、誰の目にも明らかです。インテルに比べると、開発費で一桁以上少ないPowerPC連合が性能で互格以上の戦いができるのも、RISCというアーキテクチャレベルのアドバンテージがあればこそです。

「いいデザインの会社があれば教えて欲しい」と書いていたせいか、「人生いろいろ、おハコもいろいろ」は最も多くの感想メールを頂いた回でした。その中でも一番人気はイタリアの折部亭(オリベッティ)でした。あと、シャープのX68000を好む方からも多くのメールを頂きました。X68000に比べると、今のSHARP製品には全くオーラが感じられませんね。オフィスにおいておくマシンとして、98シリーズは目立たないからいいのだ、という意見もありました。私としては、目立つ、目立たないよりも、気分よく使用できるかどうかの方が大事だと思います。

「シェアの数字の幻想」にも、多数の賛成意見を頂きました。使いやすさやとっつき易さ、マシンの活用の度合を数字でうまく表す方法がないので、コンピュータはいまだ多くの誤解を受けています。シェアの数字だけが一人歩きし、使われないマシンの山が築かれています。使われないだけでなく、そのままゴミ捨て場へ。人類の浪費の象徴のような光景です。

「その情けに報いるべきか、否か?」は情報理論の初歩を扱ってみました。ちょっと抽象的で、「わかりにくかった」と「面白かった」という両方の意見をもらいました。何気なく使っているBitという言葉も、いざ意味を問われると答えられない方も多いと思いますが、多少はイメージがわいたでしょうか?対数(log)がわからないと、今一つはっきり掴めないかもしれませんね。bitの意味を知らなくてもプログラムを作ることは出来ますし、ただ使う分には全く必要のない知識です。でも、エンジンの仕組みを知ると自動車に興味が持てるように、仕組みを知ることはコンピュータに近付くチャンスだと思います。

「摩訶不思議なホモサピエンス」は、初心者が起こした話をまとめたものです。その後に大作が控えていたため、旧作のリライトで時間をかせいでいたのでした。面白かったですか?

「林檎再生のシナリオ」は3部構成で、なかなかに気合いを入れて書いた力作でした。構想自体は8月にまとまっていたのですが出さないでいたところ、Jobsが互換機を封じてしまいさっそくシナリオから外れてしまいました。大作だと思っていたにも関わらず感想メールが極端に少なくてがっかりしたのを覚えています。「今さら再生なんて無理だと思っていた。」と書かれた方もいました。最後の回のMPUの性能予測とかは真面目にやったつもりなので、今後の実現を期待しましょう。

「当世ねずみ気質」は筆者の気に入っているコラムです。歯だの2連続かじりだの怪しい和訳もはまりました。私がWindowsマシンをつかってまず気になるのがこのマウスの動きの不自然さです。足でマウスを操作しているような、必ず行きすぎて戻らないといけないという、まさにイライラ生成器です。どうしてマウスの速度を考慮しなかったんでしょうか?まさか、Macを使ってて気がつかなかったなんて?さすがのMSプログラマもそこまでバカじゃないと思うけどなぁ。

「愛と幻想のバータリー」は、最後まで場あたりという意味だと気がつかなかった方も多かったようです(それが狙いだったのですが)。冗談だったドロナーワまで「期待してますよ!」と書かれた方がいらっしゃったのにはびっくりしましたが。Microsoftはここ数年で急速にバータリーの度を強めてますね。前はここまでひどくはなかったのに。やはり独占の弊害でしょうか。自分では気がついていなくても、敵がいない状態では必ず気が緩むものです。MSの天下が終るのはいつの日か。

「名付ケル事ト理解スル事」では、名前に込められた意味を、実際の使われ方とともに書いてみました。MacOSとWindows95では似たような機能に別の名前をつけていますが、根拠があったりなかったり、統一性があったりなかったり。名前一つで理解しやすかったり、誤解しやすかったり。名前って、ほんとに奥が深いです。

「至上主義と市場主義」には多くの感想メールを頂きました。よく言われる市場シェアが、あまりにユーザの実体とかけ離れていること、金額や台数とコンピュータを「使う」ということは違うということ、批判する前にそれについてよく知ることなどを書いてみました。どうにか、数字に出にくい「活用度」のような指標を考えて調査してくれないかな?本文でも上げた、ホームページを持つユーザの数ってのは結構まともな指標だと思うんですが。

「スピード狂の投資術」は、使えもしない計算パワーを追い求める人々を皮肉ったものです。IntelでいえばPentium、MacではPowerPC以上であれば、現在のGUI OSを使う限りは不足はないと思います。その昔、UNIXは強力なマシンに巨大なメモリやディスクがなければ動かせませんでしたが、いつの間にかもっとも軽いOSの部類に入るようになってしまいました。普通のOSがひたすら重くなり続けたのに比べ、最初から完成形に近かったUNIXは重くなる度合が非常に少なかったわけです。そのうちにコンピュータの能力が上がり、Note型でUNIXも実現されてしまいました(私も使っています)。これからも計算パワーは上がり続けていくと思いますが、皆さんもベンチマークの数字に踊らされず、必要な分だけの計算パワーを手にいれるようにしましょう。

「計り算ずる日々」は、IBMのチェス用コンピュータを題材に、人間が考えるという事と機械が計算するという事の違いについて書いてみました。人間の知能は今だ実現不可能な領域で、コンピュータでの実現は遠い未来になるでしょう。何人かの方から、「今はこんな優れた研究もあるよ」と教えて頂きましたが、残念ながらそれらも他から大きく飛躍してはいません。最終回のコラムにも書きましたが、MPU+メモリという現在のコンピュータの構成では、永遠に実現できない気がします。そう思いますが、意外にヒントは近いところにある気もします。あくまで、気がするだけですけど。

「米の国の長者」は、雑誌「電脳情報別冊」に載った文章です(他にも2編のっていますが)。GatesとJobsの比較を絡め、なぜGatesのやり方に批判が集まるのかをいろいろ書いたつもりです。Gatesにはプライドがなく、Jobsにはプライドだけがあるという主張も、多くの賛同を頂きました。

「網間に漂う海賊達」は、物質を伴わないネットワーク上の情報の価値について書いてみました。ネットワークでは情報の改変、捏造が極めて簡単に行え、不特定で膨大な数の人に情報を伝えることも可能なことから、今まででは考えられなかったような詐欺の可能性もあります。

以前にも少し書いた通り、RISCの次に来ると呼ばれるVLIWについて公衆便所に例えて書いたのが「100万人の公衆便所」でした。IntelのMercedに採用されると聞いてちょっと期待していましたが、EPICとかいう名前を新しくつけただけで(いつも通り)新しい技術を考えたわけではなかったようです。でも、どうせ売り出すときには派手な宣伝するんだろうな。で、馬鹿がひっかかるんだろうな。

ラストの「コンピュータが消える日」は、多少文明批判みたいになってしまいましたが、私の基本的スタンスです。ひたすら拡大、膨張を目指した20世紀はもう終りなのです。いつまでも右肩上がりではないのです。「減らす」「削る」という言葉を実践しなくてはならないのです。へ、私ですか?私も電話代と電気代を減らすよう努力してますよ。もちろん、ゴミも。自転車で移動して、排気ガスも出しません。

というわけで、合計27編のコラムを書いてきたわけですが、おかげさまで、この半年間に頂いたメールは約1000通にも及びました。なるべく返事を出すよう心がけましたが、ちょうど私の忙しい時期に重なったり、1行だけのメールだったり、「返事は結構」との御心遣いがあった場合には出しません(出せません)でした。この場を借りてお詫びします。これから「真・窓と林檎の物語」のページはメンテナンスモード(=凍結状態)に入りますが、私自身は6100の会にだけはぼちぼち顔を出します。

それでは、のべ45万人の読者の皆さん、長い間どうもありがとうございました。 私は書かないとストレスが溜る体質なので、 忙しい時期を脱したら必ずまた何か書こうと思います。その時まで、さようなら。

林檎の歴史は
まだ . . .
1998.1.20
umz@computer.org