Tales of Mados & Ringos / 真・窓と林檎の物語
トップ窓と林檎 → 愛と幻想の… 1997.11.10

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真・窓と林檎の物語
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愛と幻想のバータリー

  現代のありとあらゆる組織、個人が日常的に直面する究極命題「バータリー」。サンスクリット語で書かれた古代の経典から甦り、知的生命体の意志決定に際して重大な影響を及ぼすこの命題は、特にここ数年ソフトウェア業界での影響が問題視され始めている。

  そもそもこの究極命題がかくも広範囲で蔓延するのには、非常に明解な理由がある。 つまり「時間は有限」であるからである。 目の前の課題があまりに大きく、残された時間があまりに短い時、 人は往々にしてすぐ思いつく対応で誤魔化すのだ。 それ自体は、しょうがないといえばしょうがない場合もあるので「絶対やめろ」とは言わない。 が、その手抜きが全人類に大きな影響を及ぼすとなれば、非難の対象となるであろう。

  さて、窓達約百ではどのようにして長いファイル名を実現したのであろうか? 基本的に窓際には、非公開だが将来のために空けてある部分(ファイルシステムにしろ、システムのサービスにしろ)が非常に多く存在している。 ちょっと考えれば先見の明があるようだが、 実は単に「機能の隙間」に変な拡張を繰り返しているに過ぎない。

  悪名高いのが、ようやく長いファイル名を使えるようになったというVFATである。 これが、もとのFATを拡張したなんであるが、 もう少しどうにかならなかったのであろうか?というシロモノである。 結局、VFATなどという、たいそうな名前をつけておきながら、 実質ほとんど何も改良していないのだ。基本的にはこんな感じである。 ディレクトリ(フォルダ)のデータを入れる場所を、名前の格納専用にして使用しているのだ。 つまり林檎で言えば、ファインダ上で長いファイル名を表すために、 短い名前のフォルダ(アイコンは空白)を律義に横一列に並べて誤魔化していることに相当する。 林檎ではアイコンをうまく並べて大きなグラフィクスの画像アイコンを実現している例(MacLIFEのCD-ROMなど)があるが、VFATではそれを長いファイル名でやっているのである。 ディレクトリのデータテーブルには何箇所か使われていない部分があったので、 そこに「長いファイル名の一部」なことを示すデータを入れて使っているわけである。 いくら互換性を捨てたくなかったとは言え、 ソフト会社最大の研究開発費を注ぎ込んでいる会社としては、 もう少しまっとうな解決策はなかったものかのう。 そんなの、そこらへんの小学生だって思いつきそうではないか。 そういう、30秒で思いつくような方法を採用するってのは非常にタコい結果を招くのだ。

  そもそも、微かに軟らかなファイルシステムはツギハギにツギハギを重ねた、 ひじょーに醜いものである。 特に醜いのがディスクサイズに関する部分である。 細かい説明はめんどいので書かないが、 ようするに小手先の改良だけで生き長らえて来たシステムなのだ。 何かに行き詰まる度に、FATを12から16、32へと広げてきたのだが、 抜本的な解決を先伸ばしにしてきたため、どうにも摩訶不思議なシステムを築き上げてしまった。 最近でもFAT32で、またまた使われてなかった部分を思いつきで拡張して、 2Gまでしか扱えなかったディスクサイズを2Tまで使えるようにしたのだが、 今度はパーティションサイズが4Gバイトっていう制限が待っているのだ。 これをイタチごっこと言わずして何というのか?

  バータリーの悪影響は他に、こんなところにも現れている。 例えば、目的に対して取るべき方法が多くあり過ぎるというのも、 窓際においてよく指摘される問題点である。 例えば、アプリケーションの起動の方法だけでもこんなにある。

  • スタートメニューからアプリを選択
  • ショートカットをダブルクリック
  • 「マイコンピュータ」の中を開いていって目的のアプリをダブルクリック
  • エクスプローラからアプリを起動
  • スタートメニューから「ファイル名を指定して実行」で、アプリ名を指定して起動
  • DOSプロンプトからアプリを直接実行
  • Officeツールバーから実行
  • 目的アプリの作ったデータファイルをダブルクリックして起動
う〜む。 まわりくどいやり方だと、目的のアプリのデータのファイルの上で右クリックして、「送る」を選んでアプリケーションを叩き起こすことだって可能だ。 まったく、「どうだ、参ったか!」てな感じの豪華さである。 これなど、まさに「バータリー」の典型的な例であろう。 とにかく何も考えずに、頭に浮かんだ事すべてを実現しているのだ。 そこでは「統一性」とか、「理解のしやすさ」(「覚えやすさ」ではなく、システムに関する理解を深めることの「容易さ」という意味である)など、ほとんど500万光年の彼方にふっ飛んでいる。

  それから、窓達約百の画面を使っていて困るのが、どんどん画面が狭くなるってことである。 これは林檎で微かに軟らかなアプリを使っていても発生する現象ではある。 どういう魂胆だか知らんが、何でもかんでもパレットやツールバーにして画面に置いておくのは止めてもらいたいもんである。 デスクトップのマシンなど、ディスプレイがデカイ場合はまだ許せるが、 ノート型の800x600や640x480などの画面では、上下のツールバーに挟まれて正味の画面が3分の1くらいの細さになったりして、ブラインドの隙間を覗きながら操作してるような感じである。 ツールバーも一応は自分でカスタマイズできるようにはなっているが、 それならカスタマイズするまでは出て来ないようにしてもらいたい。 最初っからしゃしゃり出て来て画面を不法占拠し、「いやならテメーで直せ」とはこれ如何に? まったく、使う人のことをもう少しだけ考えてもらいたいもんである。 どうせ、作ってる側は

「これもボタンにしとくと便利だろう。 この機能もパレットに入れとけ。へっへっへ、これなら何でもできるな。俺って天才じゃ!」
ってな感じでホイホイ付け足したんであろうが、 機能をボタンにしていつも全部を画面に表示しておく必要は全くない。 思いつきを全てプログラムにしてはいけないのだ。

  画面が狭くなるって言えば、一時的ではあるが画面を覆い尽くす、 スタートメニューの階層構造にも問題がある。 「初心者にやさしい」という歌い文句に多少でも真実味を持たせるため、 スタートメニューに全てを押し込もうとするからそんなことになるのである。 ノート型の画面など、メニューの面積だけで画面が3回覆える分くらい埋め尽くされている感じである。 スタートメニューだからって、何でもかんでもメニューに放り込めばいいってわけではないのだ。

  もちろん、林檎にも「もうちょっと考えてよねー」という点は少なからずあるが、 やっぱり窓際に多い気がする。 それらは全て「バータリー」という究極命題に支配されているせいなのだ。 ちなみに、この「バータリー」、もう気がついた読者もいると思うが、日本語に訳すと「場あたり」である。さ〜て、今度はもう一つの命題、「ドロナーワ」について書くとするか。

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