Tales of Mados & Ringos / 真・窓と林檎の物語
トップ窓と林檎 → 名付ケル…2 1997.11.24

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真・窓と林檎の物語
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名付ケル事ト理解スル事(後編)

  「名は体を表す」という言葉がある。 ある物につけられた名前についてよく考えると、 その物がどうして作られたか、何を目指して作られたのかが見えてくる。

★ファインダとエクスプローラ

  林檎のファインダはその操作系統とほとんど表裏一体で、 林檎の上でファイルをいじくる時は必ずと言っていいほど出てくる。 ファイルを開く時、保存する時、移動する時、捨てる時、 必ずファインダ(やファイルセレクタ)のお世話になる。 そこでは、ファイルやフォルダは「見つける」ものという概念が根底にある。 奥の方のディレクトリに埋もれていても、ホイホイほじくって行けば見つかるのだ。

  それに対し、窓達約百では、 以前の「ファイル管理者」からエクスプローラ(探検家)なる名前に変った。 約百になっても円盤操作体系の8+3=11の世界からのしがらみを残したまま、 水深255mまでなんとか潜れる別の構造も同時に併せ持つようになって、 ますます混迷の度を極めてしまった (この辺の詳細は姉妹サイト「がんばれ!!ゲイツ君」の記事「MSファイルシステムの怪」を参照するべし)。

  以前は8+3=11と小学生でもわかる足し算だったため、 ファイル管理人のおぢさんにも楽な仕事であったが、 約百の妻と愛人の2重構造の生活は複雑怪奇で魑魅魍魎がはびこるアナザーワールドへとトリップしてしまったため、 定年間近のおぢさんの管理能力では役立たずとなり、 待望の「探検家」の登場となったのだ。 窓際族はこの探検家と呼ばれる勇猛果敢な男を駆使して、 深い暗闇のフォルダの奥底を進んで行き、 すぐ途切れるリンクと勇敢に戦い(「リンクの冒険」だ!)、 裏と表のニ重世界をさまよい、 顔のみな同じ無気味な隠し子族を追い払い、 アマゾン奥地の失われた秘宝のような目的ファイルを見つけなければならない。 我等が門様は、ファイルは「見つける」ものではなく、 とりあえず奥深く「探検して」、運がよければそこにたどり着いて使用することができるものだと考えていることが、この探検家という名前からわかる。 つまり、窓達約百では、 ディレクトリ構造は注意深く探検して行かなければその複雑な構造を把握できないものという前提で名付けられているのだ。 「ほいほ〜い!」とか言いながら簡単に見つかるものではないらしい。

  しかも、林檎ではファインダと操作系統自体がかなり密接に関係しているのに対し、 窓達約百では門様が慈愛をもって支給した微かに柔らか印の探検者をかなぐり捨て、 別のボランティアの探検者や市販の剛の者の探検者などを派遣して昼なお暗いフォルダジャングルを捜索する者たちまで出る始末。 つまり、操作系統と探検者の関係は窓際ではひじょーにドライで、 だめならすぐ「ほい、次の人、入って!」という買手市場のつらーい面接のようなもんである。 林檎ではファインダ以外でファイル操作することなどほとんどないこととは対照的である。 つまり、林檎では操作系統の設計段階からファイル管理が深く関ってる(そして、 それが成功している)のに対し、 窓達約百ではまず操作系統ありき(しかも変な互換性を持ったやつ)で、ファイルはとりあえずどっかに保存しておいて、 後でてきとーに探検すりゃいいやってな感じに作られている(そして、それが失敗している)。 この辺が両者のファイルの取り扱い、 ひいては全てのメタファの根底に流れる根本的な相違である。 つまり、これが両者の38度線なのだ。 もちろん、林檎が南側である。 北向きの窓は、隠し子達を隠して人民から真実を遠ざけ、 もし人民がその仕組みや報道に対して矛盾を感じても

「そういうものなのだ。全ては主の御心なのだ。我等が門様よ、アーメン!」
といって、疑問を持つことさえ許さない。 多くの人々が窓達約百以外の多くの優れた操作系統を全く知らないというのも、 全地球的規模で見るとすごくマイナスなことなのだ。

★ナビゲータとエクスプローラ

  案内人(ナビゲータ)は林檎の製品ではないが、 ナビゲータ制作会社(網景)は窓際よりはずっと林檎寄りなので、 とりあえず比較の対象とさせていただく。両者の正式名称はそれぞれ網景の案内人、 微かに柔らか印の網間の探検家である。 ここでも、門様は探検するのが大好きである。 たしかに現在のこの混沌とした網間は、 現代の探検家が追い求めるにふさわしいロマンに満ち溢れているが、 多くの人は誰かが案内してくれるんだったらそっちの方がラクダと思うであろう。 なにも好き好んで網間のジャングルを悠長に探検してるほど、 現代人は暇ではないのだ。

  実際の製品の方は、名付け親の気持ちも忘れて機能増加合戦に興じているが、 親が観光地の稼ぎのいい案内人にしようと思って育てた子と、 前人未踏の未開の地へ送り込むべく探検家として養成した子とでは、 やはり多少の違いがあるもんである。 さらには探検家の方は、終わりから3文字目のRをDに変えると、 あっという間に網間の物騒なテロリストになるっていう言葉遊びも一部で流行ってたりして、 さすが門様、裏の裏までちゃんと考えてあるんだね。 これで明日もホームランだ。

  実際に、テロリストほどではないものの、 微軟の探検家はいろいろな厄介事を引き起こしているのは確かである。 微軟ではソフトウェア製品に何か問題が起こった場合、もしその対策費が100万ドルだったら、 10万ドルでデバッグをして、残りの90万ドルを使って
「我社の製品は安全です」
「他社の製品でも同じ問題が起こります」
というキャンペーンをすることになっているらしい。 う〜む、ロクな死に方しないと思うぞ。

★ボリュームとドライブ

  林檎の円盤や小型円盤はドライブではなく、 ボリュームとして管理されている。 別に音が大きくなったり小さくなったるするわけじゃないぞ。 ドライブとボリュームの区別ってのは、 硬派円盤などの取り外せない機器では大差ない。 差が出るのは軟派な円盤や小型円盤読み出し専用記憶、 光磁気円盤などの取り外し可能媒体を使った時である。 林檎ではそれらの媒体を挿入すると自動的にマウントされ、 デスクトップに表示される。 そして、使いおわってごみ箱に捨てれば自動的に排出される。 一方、窓際族はこれらをドライブとして管理している。 つまり、媒体が入ってようがなかろうが、 ドライブが機器としてハードウェア的に接続されてれば、 いつでも表示されてしまうんである。 入ってないものが、さもそこにあるように見せている。 ま、ドライブ自体がそこにあるのは間違いないが、 それでも、使う側はドライブを使いたいのではなく、媒体を使いたいのだ。 しかも、軟派な円盤を取り出すのは自分でボタンを押さなくてはいけない。 逆にいうと、ボタンを押しさえすればいつでも軟派な円盤を取り出せる。 これは、自動車で

「ボタンを押せば、走行中でもタイヤやハンドル、アクセルのペダルなどが御自由にお取りはずしできます」
というのといっしょだ。ボタンを押さなきゃいいって言えばそうだが、 ボタンっていうのは押すためにあるものであるからして、 普通の人は押すもんである。 ボタンを引っ張る奴は少ない。 軟派円盤を使ってて、 いつものつもりで押したら実はまだアクセスしてたなんてことが起こっても当然だ。 もし壊れても硬派円盤より軟派な方が被害は少ないだろうが、 心臓に良くないことは間違いない。

  しかも、いつまでもA:だのC:だのというアルファベットが幼年期のトラウマのように頭から離れない。 どうにかせーや。 日本人の感覚ならアルファベットはそれほど具体的でないからまだ許せるが、 これは英語ネイティブな人にとっては、 ドライブ「あ」「い」「う」というくらい具体的で情けないものである。 御年配の方々向けにはドライブ「イ」「ロ」「ハ」と言い替えてもいい。 こんなもん変なもん、よく世界中にばらまく勇気があるな。 全く、不貞の子を隠すんだったら、 ついでにアルファベットもどっかに大切にしまっとけば良かったのに。

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