Tales of Mados & Ringos / 真・窓と林檎の物語
トップ窓と林檎 → コンピュータが… 1998.01.19

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真・窓と林檎の物語
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コンピュータが消える日

  さて、この物語もついに最終回に至った。 思えば長い執筆の道のりであったが、窓と林檎のみに話題を限定せず、 それを取り巻く大きな環境を遠くから眺めてわかりやすく書くことに徹してきたつもりではある。 さらに、ささいな知識や雑多な情報を提供するページが多い中で、 なるべく物事に潜む「見方、考え方の根本的な差」という点に重点を置いて書いてきたつもりでもある。 「もっと書け!」という意見の御仁もあるだろうが、我輩も暇がなくなったのでここらへんで終ることにする。

  さて今回のテーマであるが、コンピュータが消える日である。 はて、コンピュータが絶滅する日なんぞほんとに来るのだろうか? コンピュータの未来を考えるとき、発明という行為が人類に与える影響について考えないといけない。 全ての発明は必ず正と負の二つの側面を持っている。 言い換えれば、発明は必ず幸福と不幸を同時にもたらすということだ。 もっとくだけた言い方をすれば、便利になると同時に不便になる点が必ずあるということである。 電車や飛行機などの大量輸送手段は、ひとたび事故になれば徒歩の場合など比較にならないくらいの大惨事になる。 車社会の発達で、 温暖化の元凶が世界中で動き回りながら騒音と臭いガスをまき散らしている。 電力消費の増大により、原子力発電所が核爆発の可能性を秘めて適当なチェック体制のまま稼働しているし、 高電圧の送電線の下では白血病が多発する(と言う研究者がいる)。 携帯電話の電磁波は人の頭部を直撃し、脳腫瘍の原因となるとも言われている。 他にも、身近な電気機器から核兵器に至るまで、 ある面で便利なものは必ずどこかでその代償を払っている。

  コンピュータがなくして、現代社会は成り立たない。 が、果たしてコンピュータは人に幸せをもたらしたのだろうか? 我輩は別にここで哲学論をぶつつもりはない。 ただ単に、各人にとってコンピュータがあったからこそラクができた事と、 コンピュータの野郎のせいで余計な手間がかかってしまった事のどちらが多かったか、 少しだけ考えてもらいたいのだ。 コンピュータが役に立ったのは、決まりきった事を繰り返しやる時だけだったのではないか? あまりに融通がきかなくてキレかけたことはないか?うまく動かないのに、 全く原因が不明だったことはないか? ほんの少しの変更に、恐ろしく手間がかかった事はないか? 「コンピュータがなければ、こんな事する必要なかったのに」 という経験がない人はいないはずだ。 コンピュータが今のような形態をとり続ける限り、「融通のきく」コンピュータとは幻に過ぎない。 また、人間の思考と同じ方法でチェスをするコンピュータも今のままでは生まれないであろう。 翻訳コンニャクを作るにも、言語ではなく「知能」に真正面から立ち向かわないといけない気がする。

  では、融通のきくコンピュータとはどうやったら作れるのだろうか? 現在のコンピュータは中央のMPUが全ての処理を行い、メモリや硬派円盤が記憶を担当しているというように、 それぞれの機能が完全に限定されている。 コンピュータのプログラムは基本的に同じ条件ならいつも同じ動きをする(決定性アルゴリズムという)し、 判断だってYes/Noの二者択一がほとんどだ。プログラムとデータは明確にわかれているし、 それらが一部分でも間違っていたら動作しない。 これを融通がきかないと言わずして、何と呼ぶのか?

  しかし、人間の脳はそうなってはいない。 そもそも、記憶を担当する部分と処理を行う部分は明確にはわかれていない。 というか、記憶しながら処理したり、取り出しながら判断したりと、 ほとんどごっちゃなのだ。 この意味で、膨大な数のMPUで並列に処理を行っているとも考えられる。 さらに、同じ条件の下でいつも行動をするとは限らない(非決定性のアルゴリズム)し、 判断だって答えをYes/Noの二つから選ぶなんていう単純な場合はもちろん、 「〜について200字程度で答えよ」 などという解が膨大な可能性を持つ問題にてきとーに答えたりすることもできる。 さらには、意図的に判断を遅らせたり、情報を改変させたりもできる。 多少間違った前提でも、だいたいは似通った答えを出せる点も、コンピュータにない優れた点である。 このような人間の思考の特長に思いを馳せた時、現在のコンピュータが如何に限定され、 特化された存在であるか理解できよう。

  米の国の西海岸のある都市に、門様が自慢の豪邸を建築中だそうな。 その家では、訪問した人に個人情報を記憶させるカードを持たせて、 各部屋に入ると自動的にその人が好む音楽や温度、照明などの情報にしたがって、その部屋が調節されるそうな。 もちろん、全ては中央のコンピュータで一括管理さ。 さすが門様、あいかわらず見果てぬ夢を追い続けていらっしゃる。 そう、彼は世界一融通のきかない家をおっ建てようとしているのだ。 果たして、そんなシケたところに人類の未来があるのだろうか?ちょっと照明を明るくしようにも、音楽を止めようにも、 暑くなったから温度を下げようとしても、いちいち〜を〜して、 それから〜を〜した後、ようやく〜する。なんて、なんか嫌な予感がするのは我輩の気のせいか?

  このままだと、家の中、社会全てが融通のきかない世界になるのは想像にかたくない。 そのような社会に一歩一歩近付いているのに、一度に大きな変化がないので、 人々は気がつかない。

  「考える機械」を実現するという崇高な目標は、近くない未来には可能であろう。 だが、それはもはや「コンピュータ」とは呼ばれない。 そう、それはコンピュータではないのだ。 その時から、コンピュータという名前は人々の記憶の中で次第に薄れていく。

『. . . ずっと昔、こんぴゅーたっていう融通のきかない不便なモノがあってね . . .』

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