Tales of Mados & Ringos / 真・窓と林檎の物語
トップ窓と林檎 → 計り算ずる… 1997.12.16

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真・窓と林檎の物語
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計り算ずる日々

  さてさて、今宵は窓や林檎に関しての具体的な事柄は忘れて、 人間の思考と機械の計算の間にある、深い溝について書いていくことにする。

  数カ月前、国際仕事機械の西洋将棋の計算機(深青)が、 人間のチャンピオンを破ったというニュースが報道されたのは記憶に新しいところである。 機械が人間を上回ったと、 馬鹿なマスコミや無能なニュースキャスターがのたまわったのも、同じく記憶に新しい。 確かに、ふつーの人々には人の思考とコンピュータの計算の区別はよくわからないかもしれない。 しかし、あの国際仕事機械の深青を作ったエンジニアも実際に言っていたように、 あの機械は決して考えていたわけではなかった。ただ、計算していただけだったのだ。

  情報科学関連で有名な人というと、皆の衆は誰を思い浮かべるであろうか? え、門様だって?あんなのは科学とはほど遠いのだ。 そもそも、科学者があんなに金持ちになれるはずがない。 ちょっと詳しい人なら、ノイマン型計算機などに名を残す、天才フォン・ノイマンを知っているかもしれんが、 チューリングなるおっさんも計算機の歴史に偉大な名を記す人物である。 この輩、チューリング・マシンと呼ばれる、 現代の計算機の抽象的モデルをおっ立てた偉〜い人なんである。 そなたの林檎マシンもちまたの窓際マシンも、全てこのチューリングマシンという範疇に入るのだ (正確には、記憶が有限ではあるが)。どうだ、恐れ入ったか。 ちなみに、チューリング賞なる賞はコンピュータのノーベル賞と呼ばれるほどのたいそうな賞であるが、 情報科学を専門とする我輩にはとても哀しいことに非常にマイナーな賞である。 で、なぜここでチューリングが出てくるかというと、 あるモノが知能を持つかどうかを判断する 「チューリング・テスト」というお話をするためである。

  一言で説明すれば、このテストは「隣の部屋のモノにいろいろ質問して、人間と区別がつかなければ、 そのモノは知能を持っていることにする」ということである。予めいろいろな質問パターンを考えて、 それに対する答えを記憶しておくことで、コンピュータはこの手のテストにはかなりうまく答えることができる。 それこそ、コンビニの前で煙草片手にたむろす最近のおバカ高校生よりは1677万倍まともな受け答えをするコンピュータが作れるのだ。 もちろん、隣の部屋のモノに質問をするといっても、 マシンに文章を打ち込んでしばらくすると画面に答えが出るとか、 その「モノ」が直接答えてるのがわからないようにはしてある(モノは人間の場合もあり得るのだから)。

  このような、ある意味で非常に曖昧(というか、一般的)なテストの考え方によれば、 西洋将棋で人を負かす深青は、少なくとも西洋将棋に関する限り、 人間以上の知能を持っていると言える。 しかし、それは本当の知能なのだろうか?一体、知能とは何なのだろうか? これは、人類がコンピュータを発明して以来、 ずっと直面している究極の問題である。

  人間がどう考えているかの前に、機械がどうやっているかを見ていこう。 計算機はどうやって将棋や囲碁などのゲームの手を考えているのだろうか? 例えば、将棋の場合を考える。機械には盤面をパッと見て、 どの手が良いかなど思い浮かぶことはない。 将棋のルール上で可能な手を端から順に試していくだけだ。 試した中でどれが一番いい手だったかを思い出して、それを実際に実行する。 この「一番いい手」というのが曲者で、これに人間様の思考が大きく絡んでいるのである。 具体的には、「相手の王の斜め前に自分の金があったら○○点」 「自分の角の前に相手の銀があったら××点」など、 いろいろな場合にそれぞれ何点かを書いた虎の巻をコンピュータは持っている。 その虎の巻によると、現在は2014点で、次に打つのがAの手だと1940点、Bの手では2340点、 Cの手だと2053点、てな具合である。一番点の高くなりそうな手を選んで実行するわけだ。 今は手が3つしかなかったが、実際はありとあらゆる手を片っ端からチェックするので、非常に時間がかかる。

  さらに、本当は何手も先までチェックしないといけない。 なぜなら、今の例ではBの手が一番良かったが、 実はBは次に相手に攻められて1298点まで下がってしまう手だったとする。 Cの手なら相手が打った後も2012点で、そっちの方が良かったって事にもなる。 目先の事だけにとらわれてはいかんわけだな。 人生とまったく一緒だ。ありとあらゆる可能性をできる限りチェックしないといけないのだ。 ま、計算速度が速いコンピュータの方がゲームに強いのはこのためだ。 が、結局の所、この虎の巻自体は人間様が長い時間かかってあーでもない、 こーでもないと決めた数字なので、コンピュータ自身が作り出したわけではない。 コンピュータはただ、虎の巻に従って膨大な数の手の点を計算しただけに過ぎないのだ。 将棋に強いコンピュータといっても、中身はこういうことだ。

  では、人間の場合はどうだろうか?例えば、将棋の名人などの話を聞くと、 ほとんど最初に浮かぶ手が99%以上の確率で最も良い手だという。 悪い手は最初から浮かんで来ないのだ。 なんと便利な!これは、一体どういうことか?機 械はいい手も悪い手も馬鹿正直に全てチェックして点数を計算しないといけないのに、 どうして人間には良い手だけ浮かんでくるのか?どうやら、無意識のうちに、悪い手を切り捨てているらしい。 が、「どうやって切り捨てているのだ?」と名人を問い詰めたところで、 無意識の事なので彼には全く説明できないのだ。 このへんは脳科学が発達した現代でさえ、今だに謎である。 実際に片っ端からチェックしようとしたら余りに膨大な手の中から、 使えそうなほんの数手だけを無意識のうちに選び出している。 これが人間の知能の持つ、凄まじく強力な機能である。 実際、数字で白黒がつくゲームのような場合を除いては、 コンピュータの知能は人間に遥かに劣っている。 そもそも、数字の計算だけで白黒がつくような例は、自然界にはほとんど存在しない。

  ところで、カメラに映った画像から「何」が映っているかをコンピュータに理解させる事をコンピュータビジョンという。 30年以上も昔から研究されているのに、今だに実用化のメドが立たない分野である。 人間なら「見ればわかる」ことなのだが、 それをコンピュータにやらせるのは非常に困難だ。 なぜか?そなたには「目の前に見えるいろいろなものを自分がどうやって認識しているのか」 を完璧に説明できるだろうか?「人間には顔があって、 髪の毛があって、目が二つに鼻が . . .」と言い出すかもしれない。 顔ってなんだ?目が二つ?髪の毛があるなしの違いは?コンピュータに理解させるためには、 こういう全てのことを数字にして、 点数を計算できるようにしてあげないといけない。 どうだ、とても実現不可能そうな気がしてきたであろう。

  さらに今だに実用化されない分野の代表がもう一つ、自然言語の処理である。 これは要するに、ドラえもんの翻訳コンニャクを作るお話である。 これも既に数十年も研究されているが、結果は御覧の通り、全く世の中に普及していない。それもそのはず、 研究室レベルでもまっとうなものはまだ一つもないからだ。 言語はその意味を理解する必要があり、また人間の思考とも密接に関わっている。 さらには言語の理解には、裏にある膨大な背景知識を持っていないといけない。 もう、ほとんど不可能ではないかという気さえする。

  このような理由から、我輩などはこれらの研究はあと30年経っても今と同じようなレベルではないか、という気がする。 こういうのがもうすぐ出来ると思ってた人、残念だったのう。当分無理じゃ

  ところが、上のようなコンピュータっぽいアプローチではなく、 神経網なる仕組みを用いて、 人間の脳細胞の機能を直接真似しようという研究もある。 神経網を学習により鍛えていくのだが、それに膨大な時間がかかったり、 あまり複雑な判断ができないという問題があるものの、より人間に近い判断を実行する事が出来る。 が、何よりも問題なのは、その判断が「どうやって決定されたか?」ということが神経網の結び付きの中に埋もれて、 人間には全くわからなくなってしまうことだ。 人間の知能に近付き、その機能を解明するための研究だったはずなのに、 大事な部分は神経網の中に埋もれ、まるでブラックボックスになってしまう。 人間の理解を越えてしまうのだ。

  コンピュータはこれから、どこへ行くのか。

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