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「デビルマン」
2004年12月27日
映画「デビルマン」がすごいことになってるようである。
クソゲーならぬ、クソ映画で有名なところといえば、水野晴郎の「シベリア超特急」、略して「シベ超」がある。 しかし、どうやらデビルマンはそれを超えた超弩級の大作のようなのだ。
我輩はこの映画の存在をここのページから知ったのだが、他にもたくさん関連ページがあるようである。
「いやいや、そんなひどいことはないだろう」と恐いもの見たさで挑んだ人々が次々に敗れ去って行くという、 強烈な映画であるようだ。
皆の衆も、気をつけるべし。
象徴の誕生日
2004年12月23日
我輩が思うに、一般の人々が天皇の存在をありがたく思うのは、今日だけではないだろうか。
このまま天皇制がずっと続いて、天皇が300代くらい入れ替われば、天皇誕生日(の名残の祝日)がたくさん増えて、 1年中が休みになると期待しているのは、我輩だけではあるまい。
ああ、なんとありがたい話だ。
遅れます
2004年12月21日
1週間のご無沙汰であった。息つく暇もなかった。
さて、先日書き上がった本は、出るのが少し遅れるようである。
今度の本は「ちくま新書」であるが、これは毎月5冊ずつ刊行されている。 そして、ここ数ヶ月に刊行するタイトルはすでに決定済みであり、我輩の本は「待ち行列」の最後に追加されたわけである。
また、新書というのはたいてい200ページくらいである。 我輩も200ページを目標に書いたのだが、最後にボリュームが膨らんでしまい、結局300ページになってしまった。
さすがに300ページは多かろうということで、刊行も少し先であるし、ちょっと削る箇所を探している段階である。
実は、すでに、その次の本がクランクインなのだ。そのための秘密兵器も用意した。
WinFSは夢のまた夢
2004年12月13日
相変わらずである。
長角で導入されると宣伝されていたWinFSは、予想通りに遅れる一方のようである。
「(WinFSの搭載は)早くてもそのころになるだろう。WinFSは大がかりな新ファイルシステムであるため、このスケジュールが実現可能かどうかも検討しなくてはならない」(Muglia)これって、スケジュール的な問題というより
「(MSの技術力で)WinFSが実現可能かどうかも検討しなくてはならない」の間違いではないのだろうか。
まったく、できもしないものを吹聴したってダメなのだよ。ま、いつものことだが。
よそで面白そうな計画が持ち上がると
「うちはもっとすごいのを作ってるぞ!!」といっては邪魔をし、みんなが忘れた頃に計画を取り下げるっていう、いつものMSのパターンだな。
他にも
WinFSはMicrosoftにとって10年来の夢だが、この先進的なファイルシステムがいづれWindowsに搭載されることは間違いないとMugliaはいう。らしい。10年て本当か? だったら、窓達約百のときにFAT16からFAT32にせずにWinFSにしとけっての。
「これは単なるリレーショナルデータベースではない。全く新しいデータモデルであり、しかもデータモデルの観点からはこれまで満足できていなかったあらゆる種類のアプリケーションを満足させるものだ。」うーむ、ずっと昔にBeOSがやってた気がするが…。
相変わらず、MS社員のコメントは8割引くらいで考えないといけないなー。全然変わってないや。
解雇は自由
2004年12月13日
どうしてブログだとダメなのか不明だ。
だが、この事態を見とがめた人物は確かにいた。ハンスコム氏は4日後に上司のオフィスに呼ばれ、問題の写真がハンスコム氏自身のサイトに掲載されている以上、会社は削除するようにと命令することはできないが、ハンスコム氏がマイクロソフト社の敷地から立ち去るように命令することはできると告げられ、すぐにその通りになった。なるほど。言論の自由は制限できないけど、解雇は自由ってわけね。
間違い電話
2004年12月12日
ついさっき、間違い電話があった。
「もしもし」というやりとりであった。
「藤田さんのおたくですか」
「いえ、違います」
「え、すみません」
そういえば、東京に住んでいたときは、湯島聖堂宛の間違い電話がよくあった。 我輩の番号は、湯島聖堂の昔の電話番号だったようなのだ。 それで、古い印刷物を見た人なんかが我輩の家にかけてきた。 いつだったか、留守電に女子中学生の声で
「こんど修学旅行で東京に行くんですけど、孔子の像を見せて下さーい!」なんてのもあった。 自分の学校名や電話番号でもしゃべっていれば、こっちから間違いって連絡できるのだが。 何も情報がないので放っておくしかなかった。
他にも、正月には
「裏門のところにねぎを置いておきましたから」なんてのもあって、我輩のうちはいったい何なのだ?という感じであった。
うーむ、今日は実にどうでもいい話であった。
初めて見た
2004年12月11日
Carbon emacsが10.2.8で起動しない件についていろいろ探していたら、こんな事態に遭遇した。
で、emacsの方はソースからコンパイルし直さないといけない感じである。 G3 DT/233には10.3が入らないんだもんなー。
出るLCD
2004年12月10日
どうやら、我輩の狙っている 20インチ液晶も8万以下で、かなり買いやすくなってきたようだ。
今使ってるNanaoの16インチは買って3年くらいだが、最近映りがおかしくなって復活しないことが多いんだよな。
Thinkpad
2004年12月08日
日本では、Thinkpadのブランド力が低下するのは避けられないだろう。 我輩もi1124を使っていて、次はX40にするか迷っていたところであった。
「出る」会長の皮肉は正しいよな。 コンピュータ業界で、合併でたくましく脱皮した会社って記憶にないぞ。
そういえば、Appleは昔、SUNやIBMに買収されかかったことがあったなあ。危なかったな。
アンチMS
2004年12月06日
- 広がりつつあるMicrosoft包囲網! 〜 PC Watch
このコラムの西川という人は、昔はDOS/V黎明期のドライバなんかを書いたりしていて、それなりにハードコアな人であったのだが、 最近はおねーちゃんの写真を撮る専門の人になっている(あとは車関係か)。
さて、このコラムでは「マイクロソフト包囲網」という表現を使っている。 しかし、我輩が思うに、これは正確ではない。
現実には、だんだんとではあるが
「マイクロソフトなどはどうでもいい」という状態になってきているのだ。 包囲網で追いつめていくというより、興味がなくなってきているのである。 何年かのち、気がついたら「そういえば最近MS製品で使ってないね」という日がくるはずである。
MSSを書いたとき、 よく「アンチマイクロソフト」という紹介のしかたをされた (まあ、本の表紙にも「アンチMSサイト」と紹介文があったらしようがないが)。
実際には、我輩と外崎さんが目指したのは
- 反マイクロソフト
- 脱マイクロソフト
そして、時代は、ゆっくりとだが確実に動いているようである。プレートテクトニクスのように。
「未来をつくった人々」
2004年12月05日
今宵はこの本を紹介しよう。 というか、我輩自体も2年前に「あなコン」の読者から「この本は参考図書に入れないんですか?」と指摘されて知った。
本書は、一言で言えばXEROXパロアルト研究所での、コンピュータ開発の物語である。 原題は"Dealers of Lightning"である。こっちの方がかっこいいのは、言うまでもない。
先に、イマイチな点から書こう。 残念ながら、訳はあまりよくない。元の英文が透けて見えるような部分が多々ある。 また、最初の100ページがつまらない(全体は570ページある)。 他にも、ところどころ「政治的なかけひき」についての記述があるが、我輩はそういうのに興味がない。 というわけで、政治っぽい話を抜いて合計で300ページにしたら、もっと素晴らしい本になっただろう。
というような点を指し引いても、この本は面白い。特に、Alan Kayが出てきてからAltoが作られるあたりが。
この本を読んでわかるのは、XEROXはコピー機が売れていたばかりに、研究所にこれだけ金をつぎ込めた、ということ。 そして、コピー機が売れていたばかりに、その研究所で生まれた金のなるタネを、すべて見過ごしてしまった、ということ。 一般ユーザ向けのGUI、レーザープリンタ、イーサネット、 ポストスクリプト(DTP)。 現代のオフィスにあるものの多くは、パロアルトに起源があるというのに。 XEROXはそのどれも自分のものにできなかった。
ちゃんと名で体を表せ
2004年12月04日
本のタイトルを確定させる段階に来たせいか、モノの名前に敏感になっている今日この頃である。
で、気になったのが以下の記事である。
この記事は、どう見てもタイトルの付け方を間違っている。 アップルについて言及されるのは、たった1段落だけ、それの2文だけである。 しかも、この程度で「類似」というなら、世の中のすべての会社は類似しているだろう。
社長のことばをごくふつうに引用して
「求められているのは発想の転換 〜 日本SGI社長インタビュー」とでもすれば、「名が体を表す」状態になったのに。
無理に人目を引こうとして、記事のごく一部分だけを取り出して強調するから肩すかしのタイトルになるのである。 記事を書いた人もちゃんと自覚していたのだろう。その証拠に、記事その1の最後に
次ページでは、アップルコンピュータと日本SGIの類似点について和泉氏が語る。と、後半でその話題がようやく出てくることを明示している(それでもたった1段落だけなのだが)。
まったく、タイトルは「名が体を表す」ように、しっかり考えてつけてもらいたいもんである。 読むだけ時間の無駄だった、と言われないようにな。
moriyama.com
2004年12月01日
オンラインメディアのコラムにはいつも辛口の我輩であるが、例外もある。
この人のコラムはいつも面白い。我輩と興味の対象が近いせいもあるが。
本人のページもある。
こちらの本人ページは、数年前にN経の出版局の人から「こんな書評ページがありますよ」と教えてもらっていたページであった。 文章満載であるのだが、デザインがごちゃごちゃしてるのはどうにかならんのだろうか。